30歳

私は大学生の時に小説を書いていた。プロットなんかいちいち作らず、思いついたまま、感じたまま。

起承転結がうまくつながる時もあれば、全くのめちゃくちゃで熱意だけで書いた時もあった。作品になったものよりも書き上げられなかったネタの方が圧倒的に多い。結末まで書けないのではなく、結末まで考えてないし、思いつかなかったのだ。

学生の時は「文学賞に応募しよう!」と何度も思い、じゃあプロットを書こうと思っても書けず。じゃあ本番書いちゃえと見切り発車で物語を始めるが、どこにも行きつかず、結末も迎えず放置された。

 

「そんなの、”物語”じゃないだろ」

 

大学の同期は作家志望が多かったので、きっとそう言うだろう。中でも気難しくって、熱くて面倒臭い奴は「そんなの”文学”じゃねぇよ!」そうツッコむだろう。

でも、彼らは今でも同じことを言うだろうか。

「あなたにとって、”物語”って何ですか?」

「あなたにとって”文学”って何ですか?」

連絡が途絶えた同期たちはそんなテーマが懐かしいと思いながら、ちょっと困った顔をするだろう。「学生時代は熱かったなぁ」そう思いながら、以前のように熱弁できないでいるだろう。全員が全員というわけでは無い。今でも書くことを続けてる子はいるし、実際書く仕事をしている子もいる。

学生時代に比べて、大人になった。書くのを辞めた子も続けた子も。

 

私は最近、ずっとモヤモヤしていた。結末を考えず見切り発車、そんな調子で30歳になってしまった。性格ってそうそう変えられない。20代のうちは自分を変えようと何度も試みたが、それさえ見切り発車。

根っこの根っこは変えられないのだと、ようやく痛感した(遅いか)

しかも、調子に乗って「30歳になってしまった」と言ったが、その意識が甘すぎる。私は早生まれなのだから”今度31歳になる”代なのだ。

30歳になってからこんな簡単なことに気がつくなんて、自分のノロマさが嫌になる。そのノロマさも、根っこの根っこの変えられないところなのだろうか。

「30歳はガチればいける」

こんな言葉をYOUTUBE で以前聞いた。

まだ自分を諦めるには早すぎる。そう自分を奮い立たせる言葉だった。

 

思えば、私はずっと言葉に救いを求めてきた。

親の言葉、先生の言葉、本に書いてある言葉、舞台のセリフの言葉。

言葉に救われて、言葉に慰められて、言葉に心を揺さぶられた。

「それ、自分の頭で考えてる?一種の依存じゃない?」

もう一人の自分がそう言う。でも、他人の言葉に依存しちゃいけないってことは散々わかったのでその質問は必要な時にまた自分で蒸し返すことにする。

 

私はこれから、”言葉”をもっと大切にして生きていきたい。

20代は、他人と自分を比べて辛かった。彼氏のいない自分、周りの子のようにおしゃれになるにはどうしたらいいかわからない自分。バイト先でうまく人間関係を作れない自分。

全部嫌だったけど、30歳になるとその呪いもだんだん解けてくる。

結婚もしてない、当たり前に子供がいない。キャリアも積んで無い(無職ではない)。

そんな自分にも大切なものがあると気がつかせてくれた。全てに感謝している。